悠久の歴史に想いを馳せる旅
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鎌倉時代について

鎌倉時代は、12世紀末に源頼朝によって日本初の武士政権「鎌倉幕府」が設立されたことで始まります。この時代、鎌倉は日本の歴史上、非常に重要な地位を占めるようになりました。

元々「幕府」という言葉は武将が戦場で使用する仮の指揮所を指していましたが、頼朝の時代からは武士が政権を掌握するための政府組織を意味するようになります。鎌倉時代は、武士による政治が主流となり、約150年間にわたって日本を支配しました。この期間は、武士の政治的地位が確立された重要な時期であり、鎌倉を中心に武士の時代が花開いたのです。

  • 12世紀末(鎌倉時代初頭)

    源頼朝の挙兵と鎌倉幕府の成立

    源頼朝は当時貴族社会の護衛として権力を持っていた武士集団、平家に反旗を翻しました。この勝利をもって、彼は日本で初めて武士が主導する政府組織、鎌倉幕府を開設し、政治の中心が貴族から武士へと移行する大きな転換点となりました。

  • 13世紀前期(鎌倉時代前期)

    源家の将軍(源氏将軍)

    源頼朝の死後、源家からは2代目将軍に源頼家(みなもと の よりいえ)、3代目将軍に源実朝(みなもと の さねとも)が就任しました。頼家は頼朝の長男で、政治的な才能には限界があり、幕府の基盤を固める中で重臣たちに依存する治世を送りました。実朝は頼家の息子で、幼い頃に将軍となり、和歌に優れた才能を見せたが、1221年に鶴岡八幡宮で暗殺される悲劇的な終焉を迎えました。実朝の死により源家からの将軍継承は終わります。

  • 13世紀中期(鎌倉時代中期)

    北条家による執権政治

    3代目将軍・源実朝が暗殺された後、直接の後継者がいない状況で、源頼朝の妻である北条政子の家系、すなわち北条家が幕府を支配し、実質的な権力を行使します。この時期以降、将軍職は名目上なものとなり、実際の支配権は北条家に移行しました。

  • 13世紀後期から14世紀初頭
    (鎌倉時代後期から末期)

    元の侵攻

    13世紀後半、日本は中国王朝の元の侵攻(元寇)に二度にわたり対峙します。これは北条家による執権政治下での出来事であり、鎌倉幕府の軍事力が試される時期でした。

    元後醍醐天皇の倒幕運動と鎌倉の滅亡

    14世紀初頭、後醍醐天皇が中心となり倒幕運動が展開されます。1333年、鎌倉幕府は滅亡し、鎌倉時代は終焉を迎えます。